なぞはすべて解けた。あははー!
働きマンの松方を否定しながらも、気づいたらああいう走り方をしていた赤月です。
なるべく簡潔に書こう。(ムリかも)
私の病みって、たぶん変化を起こせなかったことにあると思います。
バランスです。自由と責任の。
よく「お前の存在がダメ」とわりとはっきり言われてきて。
なるべくいい子っていうか、透明でありたかったんです。ずっと苦しいんだけど、何が苦しいのかわからず。
思いっきり誰かや何かに従うものだから、ひとりになると自由を追い求めて正反対に走りまくって、それはそれで自分にあわなくて挫折。
従順と反発、奉仕と支配とか入り混じってるんですよね。
世界に居場所なんてないんだと思ってた。私が存在していい場所なんて。
大人になるって、たぶん自由と責任だと思うんです。子供は不自由と無責任。
私は自傷とか中毒ひどいときは「子供になりたい」とか「甘えたい」と漠然と思ってると気づいたんです。
それは、心の中はすごい不自由なのに責任ばかり取って大人なとき。
そりゃ、苦しいばかりですべて放棄したくなるわけです。
変化って、何かを失って何かを手に入れるという単純なことじゃないですか。
で、人の苦しみって「ほしいものが手に入らない」ってことだと思ってたんだけど、「いらないものを持っている」っていう苦しみもあるんですって。
それに何か妙に納得しまして。
話はとんで、映画のエディットピアフに骨の髄まで感動させられまして。
頭で感動してるのと、心から感じるものは違うと思った。
私もあれと同じだけ負を抱えているんだから、何かできることがあるはずだと自分を信じたんですね。
私って、家族や親戚にもちやほやされて育ったと思います。
それが愛だったかどうかは別ですが。
私は人の顔色ばかり伺ってましたね。
本当の自分を出したらどうなるか、恐かったですとても。
責任をいつも取られてしまうわけで。それと同時に私の自由は奪われていくわけです。
きっと自立心が旺盛だったのに、あの環境にいたものだから、不良の道を通ってしまったのでしょう。(人のせいかよ)
さらに日本では、女のひとって保護されるんです。何もできないほうがかわいいっていうか。
私、何でもやってくれる男のひとってだめなんですよね。
だから放っておかれると愛、みたいなのを感じてしまい。それはそれでしんどい恋愛でした。
そのバランスで、なんだか内側はいつもイライラしてて。
さらに拒食でやせるものだから体壊してますます自由度奪われたり。
あー、なんかラクになった。
私これから音楽にいきますね。ずっとやりたかったのに、なぜかできなかった。
自分にできることをやって、できないことはしない。
そこに人の基準や世間なんて要らないんですよね。
これで人のことを見てああだこうだ思わないですむと思うとホッとします。
男になりたいとか、どうしてこの家に生まれたんだろうとか、どうして何でも切ってしまうのか。「イケナイ太陽」を歌い叫ぶ自分の意味もわかりました。
単純だけれど、自分にできることをする。できないことはやめる。それを体ごとわかってすごく幸せです。
自由ってどこかへいけばあるものじゃないんだ。
ただただ、私は自立心が強い子で周りはそれを歓迎していなかったと。
それにNOと言えなかっただけのことだ。
便利な世の中って、それはとても不自由なことだと思います。
生きてるって感じられない。私は、ですけど。
これで自分のことを書くのは終わりにします。読んでくださった方たちありがとう。
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